
一般的な業務SaaSでは、製品ごとの画面と操作手順を人に覚えさせる形が中心ではなくなると筆者は考えます。AIエージェントが接続や画面操作を通じて定型処理を引き受けるからです。売る側に残る問いを、固有の業務データ、参加者のネットワーク、高度な専門システムという三つの条件から整理します。
業務SaaSの画面が中心ではなくなる
この記事が扱うのは、業務SaaSを売る側の問いです。利用者が画面を開かなくなった後、自社の製品は何で選ばれるのか。買う側が個々の契約を残すか代替するかを決める手順、料金の単位の変化、内製への移行、Klarnaの実例は「SaaSの契約を残すかAIエージェントで代替するか」で扱っています。
ここから先は、調査した事実を踏まえた筆者の見立てです。顧客情報の入力、申請、集計を製品ごとの画面で行い、利用者数に応じて料金を取る形は中心ではなくなります。業務データや処理機能は残っても、人が画面を行き来する時間は減っていきます。
AIエージェントは、接続用の窓口であるAPIや後述する共通規格MCPがあれば、画面を通らずにSaaSの機能とデータを直接呼び出せます。画面しかないシステムなら、人と同じようにマウスとキーボードで操作します。必要な機能が小さい場合は、利用する会社の業務に合わせた専用システムをAIエージェントが作る側にも回ります。
Microsoftのサティア・ナデラCEOは2024年12月の対談で、業務アプリは本質的にデータベースと業務ロジックの組み合わせであり、そのロジックはAIエージェント側へ移る、エージェント時代には業務アプリという概念自体が崩れていく、と述べました。一方で同氏は2025年11月に、利用者向けのツール事業はエージェントの仕事を支える基盤事業へ変わる、人とエージェントが併走する期間は長く続く、とも補足しています。崩壊は一瞬では起きず、長い移行として現れます。12

画面を通る理由がなくなる
売る側にとって最初に効くのは、画面の作り込みが競争力として働きにくくなることです。画面操作の能力は毎年測定されています。パソコン操作の標準試験であるOSWorldでの成功率は、Anthropicが2024年10月に公開した最初のモデルで15%程度、OpenAIが2025年1月に公開したモデルで38%でした。人間の基準はおよそ72%です。まだ人より遅く不正確でも、画面しか窓口がないシステムを操作する手段として実用が始まっています。34
そのため、使いやすい画面は人にとって便利でも、AIエージェントにとって強い参入障壁にはなりません。画面の配置を改善して得られた優位性は、利用者が画面を見なくなるほど薄くなります。
仕事の入り口も動き始めました。OpenAIは2025年10月、ChatGPTの会話の中でBooking.comやSpotify、Canvaなどのアプリを呼び出す仕組みを公開しました。利用者は各サービスのサイトを開かず、一つの対話画面から必要な機能だけを使う形です。入り口が製品ごとの画面から一つのAIエージェントへ移る変化は、消費者向けから先に現れています。5

次の窓口になる接続規格MCP
画面の次の窓口は、すでに共通規格として存在します。MCP(Model Context Protocol)は、AIエージェントを外部のデータや機能へ接続するための共通規格で、Anthropicが2024年11月に公開しました。SaaS側がMCP対応の接続口を一度用意すれば、対応するどのAIエージェントからも同じ方法で機能を呼び出せます。2025年12月には中立な運営のためLinux Foundation傘下の団体へ移管され、移管時点で開発キットの月間ダウンロードは9,700万件、公開されている接続口は約1万件でした。67
Salesforceは2026年4月、製品全体をAPI、MCPの道具、コマンドとして公開し、AIエージェントが画面を一度も開かずに操作できる構成を発表しました。画面を売ってきた最大手が、AIエージェントを正式な利用者として扱い始めたことになります。日本の技術メディアも、MCPによって仕事の入り口がSaaSごとの画面から一つの作業環境へ移る構造変化を報じています。89
つまり売る側は、人向けの画面の改善と、エージェント向けの接続口の整備という二つの窓口を同時に維持する段階に入りました。接続口を出さない選択は、自社を画面操作の対象として外から使われる側へ置くだけで、防御にはなりません。
残る価値の条件
SaaSという提供方法が完全になくなるわけではありません。ただし、製品として残る条件は厳しくなります。筆者は、固有の業務データ、参加者が作るネットワーク、高度な専門システムの三つに絞られると考えます。
固有の業務データには、契約、取引、権限、監査履歴などが含まれます。AIエージェントはデータを利用できますが、正しい履歴を勝手に作ることはできません。ただし、記録を保存するだけの仕組みは代替されやすく、データの継続性、正確さ、権限管理まで担って初めて価値になります。画面と定型処理は最も崩れやすく、データと権限は裏側の業務基盤として残ります。その上に、他社が集め直せない参加者のネットワークか、簡単に再現できない専門性がある製品だけが、独立した事業として残りやすくなります。
記録基盤の価値は、外部の声と制度の両方が裏付けます。ファイル共有大手BoxのCEOアーロン・レヴィ氏は、AIエージェントの時代には記録システムがむしろ重要になると主張します。人の何倍もの数のエージェントが動くほど、正しいデータと、誰が何をできるかを確定的に制御する権限の境界が、安全装置として効くからです。日本でも電子帳簿保存法が、電子取引の記録について、訂正や削除の履歴が残る保存と、日付、金額、取引先で検索できる状態を求めています。確率的にふるまうエージェントに、正しい記録の保管そのものは任せられません。1011
権限管理が残る理由は、事故の記録にもあります。2025年9月には、SalesforceのAgentforceに対して、外部フォームから仕込んだ指示で顧客データを流出させうる脆弱性が公表され、修正されました。エージェントへ広い権限を渡すほど、権限の範囲を区切り、操作を記録し、必要なら取り消す基盤の価値は上がります。12

プラットフォームは消えにくい
コミュニティー、仕事の取引市場、専門家のネットワークの価値は、画面や業務処理だけではありません。そこに誰が参加し、どのような関係、評判、取引履歴が蓄積されているかで決まります。AIエージェントは既存のネットワークを利用できても、同じ参加者と信頼関係を瞬時に複製できません。
プラットフォーム研究でも、価値は機能の品質だけでなく、参加者の数と組み合わせから生まれると説明されています。利用者が別のサービスへ移るには、関係する相手も一緒に移る必要があるため、機能を作り直すだけでは置き換えられません。1314
したがって、採用や商取引の画面はAIエージェントに隠れても、その裏側にある候補者、企業、専門家、評価、過去のやり取りは残ります。プラットフォームは、人向けの画面を売る会社から、AIエージェントも利用する参加者ネットワークへ変わります。
専門システムは例外として残る
複雑な数理モデル、安全性が重要な制御、厳しい法規制への対応、大量処理を安定して続ける仕組みは、当面残ります。価値が画面ではなく、長年かけて検証された計算方法、失敗時の復旧、現場固有のデータ、専門家の判断を組み込んだ裏側の処理にあるからです。
AIエージェントの構築能力には、測定された限界があります。2026年のSaaSBenchでは、複数の言語、データベース、部品を組み合わせる企業向けシステムの構築課題で、失敗の95%以上が深い業務ロジックへ到達する前の、環境構築と部品統合の段階で起きました。既存のSaaSをブラウザで操作して業務を最後まで終えるSaaS-Benchでは、評価された画面操作エージェントのうち最も成績が良かったものでも、完走率は4%未満でした。1516
一度の成功と、業務に必要な再現性も別物です。AIエージェント開発企業Sierraの試験では、顧客対応の同種の課題へ8回連続で成功する確率が25%を下回りました。Anthropicの実利用調査でも、人間なら数時間かかる仕事では成功率がおよそ5割へ下がり、人が仕事を分割して途中で修正するほど成功する範囲が広がります。誤りが許されない領域ほど、検証済みの処理と運用の専門性が価値として残ります。1718
ただし、この弱点を永続的な参入障壁とは考えない方が安全です。AIエージェントの能力は上がるため、単に作るのが面倒なだけの仕組みはやがて追いつかれます。残るのは、間違いが許されず、検証と運用に継続的な専門性が必要な領域です。
何が残るかを見分ける
自社のSaaSが残るかどうかは、AI機能の数では判断できません。チャット欄を追加しただけでは、AIエージェントが外から同じ仕事を行えるようになったときに差が消えます。見るべきなのは、顧客が画面を一度も開かなくても、その会社へ料金を払う理由が残るかどうかです。
| 価値の中心 | 置き換えられやすさ | 残るための条件 |
|---|---|---|
| 使いやすい画面 | 高い | 人が直接操作し続ける特別な理由がある |
| 定型的な業務処理 | 高い | 他社が再現できない知識や責任を伴う |
| 業務データと権限 | 中程度 | 正確さ、履歴、監査、継続性を保証する |
| 参加者のネットワーク | 低い | 参加者同士の関係と信頼が蓄積している |
| 高度な専門システム | 低い | 検証済みの処理と継続運用が必要になる |
固有のデータも参加者のネットワークも専門性もなく、価値の中心が入力画面と定型処理なら、置き換えられる可能性が高い製品です。反対に、AIエージェントが利用したいデータ、権限、取引相手、検証済みの処理を持つ会社は、画面が消えても裏側の提供者として残れます。この記事の「なくなる」は、すべてのクラウドサービスが消滅するという意味ではありません。画面と定型処理を一体で売る一般的な業務SaaSが、独立した製品として成立しにくくなるという予測です。
参照リンク18件
- BG2PodSatya Nadella with Bill Gurley and Brad Gerstner
- Dwarkesh PodcastSatya Nadella — How Microsoft is preparing for AGI
- AnthropicDeveloping a computer use model
- OpenAIComputer-Using Agent
- OpenAIIntroducing apps in ChatGPT and the new Apps SDK
- AnthropicIntroducing the Model Context Protocol
- Model Context ProtocolMCP joins the Agentic AI Foundation
- VentureBeatSalesforce launches Headless 360 to turn its entire platform into infrastructure for AI agents
- 日経クロステックMCPが促すSaaSの構造変化、タスク管理のアトラシアンがAI検索参入
- TechCrunchBox CEO Aaron Levie on how AI is changing the enterprise SaaS landscape
- 国税庁電子帳簿保存法一問一答(電子取引関係)
- The Hacker NewsSalesforce Patches Critical ForcedLeak Vulnerability in Agentforce
- American Economic AssociationMultidimensional Platform Design
- Cambridge University PressInstitutional Change on Digital Platforms
- arXivSaaSBench: Exploring the Boundaries of Coding Agents in Long-Horizon Enterprise SaaS Engineering
- arXivSaaS-Bench: Can Computer-Use Agents Leverage Real-World SaaS to Solve Professional Workflows?
- arXivτ-bench: A Benchmark for Tool-Agent-User Interaction in Real-World Domains
- AnthropicAnthropic Economic Index report: Economic primitives
2026年8月18日時点の公式資料を確認しています。仕様は更新される可能性があります。



